◆  コラム その六五(神の木々3)
 都内では桜も満開に近づいており、心待ちにしていたお花見の時期を迎えました。先頃の梅や桃も大変結構な風情がありますが、やはり桜花の魅力は特別なもので、日本人が心に描く「花」といえば桜≠第一に挙げても肯首されることでしょう。そうした心地よい季節とともに新年度がはじまりました。あちらこちらで朝から先輩に伴われた新社会人が街ゆく姿を見受け、純真な理想を持っていたかつての自分を思い起こします。また、無垢な希望を胸に抱く大学生のキラキラとした笑顔には、明るい未来を期待します。そうした新生活にともない、愛情豊かな親元や生まれ育った地元を離れ、一人暮らしをはじめられた方も多いのではないでしょうか。仕事に歓迎会と何かと忙しく、望郷の念は紛れることとは思いますが、睡眠不足や偏食は体調不良の原因ですので、くれぐれも気をつけていただきたいと思います。
 さて、春といえば、各地の神社で桜祭りなどの愛称で「春祭り」が盛んに行われる季節でもあり、こうした祭典の愛称には、ちゃんとした理由があります。一年中の農事は、正月を過ぎた頃、ボケや水仙などを眺めながら寒晒し・田畑の天地返しを行い、梅・ロウバイ・椿などから気候をうかがい、土壌の様子を見ながら生産計画を案じます。この作業・立案がおおむね終り、春の到来を告げるコブシが咲き始め、続いて桜が咲いてから、米作りの大事な一歩となる「苗床作り」がいよいよ始まります。これから収穫までの間、仲間と心を一つにして大いに働きはじめる農作業が開始される時期にあたり、種もみが無事に苗へと成長し、この年も稔り豊かに「五穀豊穣」でありますようにと神々に祈る祭祀が「春祭り」であり、その愛称となる樹木に農耕の神が宿られます。つまり、「さくら」に代表されるような祭祀を象徴する樹木に神が宿られるということは、これも立派な「神籬」であり、春祭から秋祭までの時限的な神籬になります。生活に則していえば、開花から落葉するまでの期間ということになります。
 ちなみに「桜」を象徴的に神格化された神さまといえば「木花開耶姫命(このはなさくやひめみこと)」という神さまがいらっしゃり、木花開耶姫命を御祭神としている神社では、富士山に深い関わりがある「浅間神社」が代表的です。浅間神社や富士信仰においては、富士山の火山活動を鎮める水の神さまとして崇められており、桜が御神木とされています。神話の中では、木花開耶姫命は葦原中国に降臨された皇孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)にみそなわされて妻となりました。

 また、「さくら」に田の神様がやどる理由には、「さくら」のさ≠ヘ、「さおとめ」「さみだれ」「さなえ」というようにさ=田≠フことを示しており、くら≠ヘ、「磐座(いわくら)」「御座(みくら)」の尊称にあるようにくら=神の所在=依代(よりしろ)≠示す聖なるものをさし、「さくら=田の神様の依代」となります。この他にも音韻学的には「さ=より多くの(より大きい)」「く(くぅ)=組み合わさる」「ら(るゎ)=群がる」という組み合わせの言葉で、この意味で「さくら」を現代的な表現にすると「咲くやつら」となり、豊穣の予祝をする樹木となります。
 昔の人々は、田の神籬である桜が咲くと「田の神様が山からお出ましされた」と慶び、いわゆる“お花見”をして神人供食をおこない、心身にその神気を宿して、豊穣を願って一生懸命に農事に精を出します。こうした精神性は、なにも農業・漁業ばかりではなく、工業・商業にも通ずるものであり、とくにサービス業と呼ばれる職分野では同類の性格が見出せます。日本人が日本人的である限り継承される伝統ではないでしょうか。
 「賢木」「磐境」「神籬」など、実は身近な「お花見」にも深く関係していたことに驚かれた方もいらっしゃるかもしれません。また、農と樹木は切り離せない関係があり、生きとし生けるものが共生していくには、型どおり・カレンダーどおりには行かない場面が多々あります。今回は「桜」に標準を合せましたが、これ以外にも「カッコウが鳴くから豆をまく」や「麦まき鳥(セキレイなど)」などの古語があり、こうした情緒豊かな「自然の指標」を原始的とみるか実際的と受けとるかは賛否両論あるでしょうけれども、「神道=かんながらの道」への言及の一端として、いつもとは違う視点からご紹介いたしました。