◆  コラム その六六(神の木々4)
 一雨ごとに暖かさが増してきて、目には見えない風が光っているような感覚になる頃となりました。しかし、春は天候が変わりやすい季節でもあり、関東では「春疾風」という嵐の一種が起りますし、昔から「春に三日晴れなし」といわれています。こうした天候を予測する古語に「春北風に冬南、いつも東は常降りの雨(春は北風。冬は南風。一年を通じて東風が吹く時は雨が降る前兆)」「朝霞門を出でず、暮霞千里をゆく(朝の霞は雨が降る前兆であり、夕方の霞は晴天が続く予兆)」などがあり、先祖たちの有難い智恵、また観測眼には学ぶべきところが多くあります。
 これまで、神道的な樹木観や日本的樹木信仰という観点からみてきました。前回ご紹介いたしました桜に象徴される木花開耶姫(このはなさくやひめ)」は、皇孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に見そなわれ妻となりましたが、『日本書紀』の一書の中では、この時に父である大山祇神(おおやまつみのかみ)は、木花開耶姫と一緒に姉である磐長姫(いわながひめ)と共に財宝を添えて瓊瓊杵尊へ奉献いたします。しかし、瓊瓊杵尊は畏くも花開耶姫のみを選び、姉の方は「醜くしと為(おぼ)して」お召になられませんでした。これを受けて大山祇神は上伸いたします。もし、お召になられれば「生める兒(みこ)、永寿(いのちながきこと)磐石(いわ)のごと常に存(また)からむ。…(中略)…唯弟のみ獨り御(め)せり。故れ其の生めらむ兒(みこ)、必ず木華(このはな)の如に移(ちり)落ちなむ」と申し上げました。
 ここでは、磐長姫は「醜い」という表現がされていますが、決して御姿の様子や不快感・嫌悪感を指していっているのでありません。では何か、父である大山祇神が申しますように、また御神名にある磐(いわ)に象徴されているように、もしお召になられれば磐長姫の生む御子たちの寿命は磐の如く長寿であり、文字通りに萬歳≠フ齢が過ごせたかもしれません。しかし、瓊瓊杵尊は、そうした不変的固定性を好まれず、「磐の如き長寿」よりも時代ごとに転換できる柔軟性が硬化してしまうことを強く危惧されたことの表れだと考察することができます。
 そもそも瓊瓊杵尊が目的とされるところは、天津神がイザナギ・イザナミにお示しになられた「漂える國を修理固成(つくりかためなせ)」との御心によって國生み・神生みをし、その国をより良い発展のために須佐之男命・大國主大神と国造り修理固成≠フためにご尽力されました。そして、「国土奉還」により瓊瓊杵尊は、天壌無窮の神勅を奉戴して天孫降臨されたのです。つまり、イザナギ・イザナミから須佐之男命・大國主大神へ、さらに瓊瓊杵尊へと修理固成≠フバトンが受継がれたのです。この精神性により、瓊瓊杵尊は次の世代へ継承させるために、磐のように固定された永遠性≠フものよりも、樹木のように生命的循環のサイクルを行う再生する永遠性≠歓迎されたとも考えられます。

 さらに抽象度を高めていきますと、「賢木」として用いる常緑樹は、その名の通りに常に緑であり、生命のもつもう一つの側面、「永遠」を象徴するものであるが故に、神聖視されています。
 こうした神代から続く日本的・神道的な樹木信仰には、「再生」と「永遠」という、生命のもつ二つの形態を象徴します。再生とは、全く同一のものが繰り返されるのでは無く、それぞれの時代ごとに適した状態で現れます。ここまで樹木を中心に考察を重ねてきましたが、祭祀では実際にどのようにして用いているのかを学んでいきたいと思います。