◆  コラム その七○(神の木々 〜 6 〜)


 出雲大社の御遷宮も第2期事業へと移行し、順調に進んでいます。御遷宮第1期事業では、主に御社殿の修造事業ですので、材木・檜皮などの建材を大量に使用しました。このコラムでは、そうした用材の樹木の歴史を訪ねてみたいと思います。
 「一生に一度は出雲詣」と願い、多くの方が縁結びの旅にお出でになられます。同じように紀州・熊野では、古くは「蟻の熊野詣(ありのくまのもうで)」と呼ばれるほど多くの人々が行き交う熊野信仰があり、かつて信仰者が通行していた熊野古道は、平成16年に世界文化遺産に登録されました。また、平成28年7月にも追加登録されることが予定されています。これを機に再び歴史や文化的背景などに関心が高まり、熊野古道を探訪される方が増えることを期待します。
 その熊野信仰の中心なのが熊野本宮大社であり、主祭神は家都御子神(けつみこのかみ)と仰がれている神様です。熊野本宮大社の由緒によれば、スサノヲ神が古代熊野本宮の地に降臨されたことに端緒を得ているとされています。また『紀伊続風土記』(1839年)には、「式(『延喜式』のこと)の熊野坐神社は本国神名帳の家都御子大神にして、家都御子神は素戔嗚尊(すさのをのみこと)の又の御名なり」とあり、古くからスサノヲ神と同一視されてきました。
 なぜヤマタノオロチ退治で有名な出雲の神様であるスサノヲ神が紀州熊野の地に降臨し、祀られているのか。今回は、スサノヲ神と木々にまつわるお話に注目していきたいと思います。

 『古事記』によりますと、スサノヲ神は高天原のルールを何度も違反し、罪を犯して高天原の八百万神々から重罪に問われました。その罪を贖い、最終的に高天原を追放処分にされたスサノオは、出雲の国(現在の島根県)の肥の川(現、斐伊川)のほとりに降り、大蛇ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたクシイナダヒメと出会います。スサノヲ神はクシイナダヒメを妻とするため、ヤマタノオロチから救出する作戦を実行します。それは、オロチに酒を腹いっぱいに飲ませ、酔って眠ったところをずたずたに剣で切りきざむ作戦です。このとき、尾の中に草薙剣(くさなぎのつるぎ)を発見し、この剣を高天原に献上しました。
 その後、スサノヲ神はクシイナダヒメと夫婦となり「やくもたつ いづもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを」と歌を詠まれました。その後は、次々と代を重ねて七世代目の子に大国主大神が御神誕になられました。以上は古事記からですが、一見すると熊野との関係性が見えてきません。それでは日本書紀ではいかがでしょうか。
 『日本書紀』には、本文と一緒に「一書に曰く…」と異説も集録されています。その中には、 スサノヲ神が国の将来像に思いをきたす時に「韓郷の島には金銀がある。わが子が治める国に船がなかったら困るだろう」と思案を巡らされました。そこで、スサノヲ神は自らのヒゲを抜いて放つと、そのヒゲが杉の木になった。胸毛を抜いて放つと檜に、尻毛は槙に、眉毛は樟となった。これらの樹木を見て「杉と樟は、船を造るのによい。檜は宮を造るのに、槙は現世の国民の棺を造るのによい。たくさんの木の種を播こう」と事業計画を立案されました
 この計画は、スサノオの子である五十猛命(いそたけるのみこと)・大屋津姫命(おおやつひめのみこと)・抓津姫命(つまつひめのみこと)の三神により、全国各地に木種を播かれ、生命豊な青山となりました。  その後、スサノヲ神は熊成峯(くまなりのたけ)を通って、とうとう根の国に入られました。
 この一書では、スサノヲ神の体から抜き取った体毛を放つと次々と樹木が生成され、それぞれの樹木の特性に見合った使用を指導します。このことからスサノヲ神は樹木をも司る山の神でもあり、造船・航海技術をも有する海上の神でもありました。すなわち高度な文明が発達した強力な国の神であったことがわかります。
ヒゲ→杉(すぎ)  … 造船
胸毛→檜(ひのき) … 建材
尻毛→槙(まき)  … 葬儀
眉毛→樟(くすのき)… 造船
 また、別の一書をみてみると、スサノヲ神がヤマタノオロチを退治した後、子の五十猛神が、大量に所持していた樹種を以て、国中の山々を青く茂らす為に、全国的な植樹事業を始めました。筑紫から始められた植樹は、国中を青山にすることに成功し、五十猛神はその功績が称えられて有功之神(いさをしのかみ)と御神名が仰がれ、紀伊國の鎮座する神様となりました。
 これらの逸話から紀ノ國にスサノヲ神を中心とする集団があったこと。紀ノ國=木ノ國でもあったことが推測できます。また物語を通じて、古代から続く山と海の相関関係もみえてきます。スサノヲ神からはじまる系譜の子孫らは、高度な製鉄技術を有しており、植樹をはじめとする山林の保全や造船・貿易などが主体と思われる文化経済を経営している側面がみえてきます。
 こうした神代から続く環境保全の営みは、出雲大社の遷宮事業を通じて随所に感じられる場面がありました。例えば、出雲大社御本殿の御修造に使用する御用材は、山中において自然発生的に発芽し、生長した樹木ばかりとは限りません。それよりも100年200年前に何かしらの重要な用材目的として植樹され、代々にわたって管理されてきた樹木が使用されてきた事例が多くあります。つまり、遠い祖先が我々のために送ってくれた贈り物なのです。そうして今は、120年後の御遷宮のために植樹祭が行われ、歴史が営まれています。
 環境問題は、100年単位の大きな視点でみるため、いささか問題点がぼやけてしまう感が否めませんが、こうした神話に触れて、神々が実践してきた御事績・教えを学び、“神道−かんながらの道”を一緒に歩みましょう。